地雷探知犬の育成 – 子どもたちが安心して歩ける大地を取り戻すために –
私が初めて実際に地雷探知犬が働くところを見たのは、2005年。ボスニア・へルツェゴビナの平和構築を取材していたときのことだ。90年代に大きな戦争があったボスニアでは、地雷は戦後復興の大きな妨げとなっている。いまも国中で地雷除去作業がおこなわれているが、その現場のあちこちで地雷探知犬が活躍していたのだった。
ボスニアには、ノルウェーの国際援助団体ノーウェジアン・ピープルズ・エイドが運営する地雷探知犬の訓練センターがある。そこで生まれ育った犬たちは、訓練を終えると、カンボジアの他に、エチオピア、コンゴ、ヨルダンなど、地雷の被害に苦しんでいる国に送られ、地雷探知犬として働く。
地雷探知犬となるのは、どんな犬たちだろうか。中心になっているのは、マリノア(ベルジアン・シェパード)といって、日本でもおなじみのジャーマン・シェパードよりひとまわり小さく、毛も短い種類の犬たちだ。訓練センターでは、地雷探知犬の両親から生まれた子犬、つまり地雷探知犬としての素質を持った子犬たちを繁殖し、幼いころからていねいに育てる。
子犬たちは、パピートレーナーたちからたくさんの愛情を受け、人との絆を育んでいく。また、タオルを噛んで引っぱったり、振りまわすなど、もともと持っている狩猟本能を刺激するための遊びをとおして、獲物の匂いを嗅いで追う、という狩猟行動を強化していく。
地雷探知犬になるのは、何よりも、その仕事が好きで、それに向いている犬でなければならない。匂いを嗅いでものを探すのが得意なマリノアのような犬にとって、地雷探知は楽しいゲームのようなもの。でも、ペットとして家で寛ぐのが好きなチワワのような犬にとっては、苦痛でしかないだろう。仕事を選ぶ際に適性が大事なのは、犬も人間も同じなのだ。
犬によっても違うが、訓練センターで過ごすのはだいたい1年半ぐらい。そのあとは実際に地雷探知犬として働く国に移動し、2ヶ月ほど仕上げの訓練を受けた後、地雷原に出ていくことになる。
ボスニアのコミュニティ・ガーデン
旧ユーゴスラビア連邦の一員だったボスニアは、ボスニアクと呼ばれるイスラム教徒の人びと(戦前・戦中はモスレム人と呼ばれていた)が44%、セルビア正教を信じるセルビア人が33%、カトリック教徒のクロアチア人が17%という人口比率で、各民族が平穏に共存していた。
ところが、旧ユーゴスラビア連邦の崩壊にともない、まず隣国のクロアチアが独立。それに続くボスニアの独立をめぐって、これら3民族のあいだで領土分割戦争が勃発した。各民族がより多くの領土を取ろうと争った結果、25万人以上が亡くなり、200万人以上が家を失って難民になったといわれる。
1995年7月には、ボスニア東部の町スレブレニツァで、ボスニアクの男性と少年約8000 人が殺されるという、ナチス以来ヨーロッパ最悪の虐殺事件が起こった。
同年11月のデイトン合意により戦争は終結したが、戦後のボスニア・ヘルツェゴビナは、一つの国境のなかに、ボスニアクとクロアチア人の連合国とセルビア人の共和国の二つの政体を抱える複雑な国家形態を取ることになった。これにより、民族間の住み分けが進み、かつてのような多民族がともに暮らすコミュニティは消滅してしまった。
このように分断されて暮らす形は、紛争への火種をくすぶらせ続けることになる。お互いの交流がない状態では、相手への恐怖や怒りが増幅するばかりで、平和共存への道はなかなか見えない。
そんな中、民族を超えた交流の場を創ることを目的に、2000年にサラエボ市内にコミュニティ・ガーデンが作られた。ガーデンの方式は、日本の市民農園のように1家族が1つの区画を与えられて野菜を育てるもの。最初は出身民族を気にしていた人びとも、畑仕事をするうちに、ごく自然に助け合い、収穫を分け合うようになっていった。6年目の今では、民族の垣根を越えて友情を育てる人びとや子どもたちも増えている。
現在、全国16か所に広がったコミュニティ・ガーデンでは、約2000人が働く。参加者のなかには、難民やスレブレニツァの虐殺の生存者など、心に傷を負った人びとが多数いるが、ガーデンは彼らの癒しの場ともなっている。
戦後10年目を迎えたボスニア。町のあちこちには、今も砲撃の跡を残す建物 が残り、人びとの心のなかにも見えない境界線が引かれている。だが、このコミュニティ・ガーデンは、大地に根ざした市民による平和構築の試みとして、再生への希望を感じさせてくれる。
動物たちが子どもたちの心の扉を開く – グリーン・チムニーズの試み - 動物たちは「慈しむ心」を教えてくれる
日本では、10代の少年少女たちによるショッキングな犯罪が起こるたびに、「心の闇」という言葉が持ち出される。
心の闇とは何なのか。いったいそれはどこから、どのようにして生まれるのか。なぜ、子どもたちは人を傷つけたのか。
考えられることのひとつは、命というものの実感、そして、それを尊重する心が欠けていたということではないだろうか。また、内からわきあがる怒りや恨みを、暴力以外の手段で表現することができなかった、ということでもある。
もし、この子どもたちが、命あるものを慈しむことを知っていたなら、自分のなかの重くて暗い感情を、人を傷つけずに表わすことができていたなら、どうだっただろうか。
グリーン・チムニーズに来る子どもたちの多くは、虐待やネグレクト、いじめなどにあって深く傷ついている。愛され、慈しまれた経験に乏しいために、人と絆を結ぶことがむずかしい。怒りや不満などのネガティブな感情を、暴力的な行動でしか表せない子も多い。このまま行くと、いつか自分を傷つけるか、誰かを傷つけてしまうかもしれない子どもたちだ。虐待を受けて育った子どもたちが親になったとき、自分の子どもに対してまた虐待のサイクルを繰り返してしまう傾向があることも、よく知られている。
グリーン・チムニーズの試みは、そんな子どもたちに、動物たちのケアをとおして、愛すること、愛を受け取ることを教えようとするものだ。
忙しい母親から顧みられず、放任状態で育った少女ケイラ(14歳)は、「悲しいことがあると、農場に来て動物たちに慰めてもらうの」と言う。彼女のいちばんのお気に入りは、ヤギたちだ。近づくと逃げてしまう動物とちがって、ヤギは服を引っぱったり、靴ひもをくわえたり、うるさいくらいに寄ってくる。だが、ケイラにはそれが嬉しくてしかたないのだ。
「ヤギたちに囲まれていると、自分は受け入れられている、愛されている、って思えた」
あるとき、母親に暴力をふるって問題になった少年が、子育て中のカモの柵で、ヒナを抱きあげようとしたときのこと。母ガモが驚いて走りまわるのを見たとたん、さわりたくてたまらなかったヒナを手放してしまった。
「母親が心配してるからかわいそうだ・・・」
動物たちは、子どもたちのいちばん優しい部分を引き出してくれる。表向きはどんな問題行動のレッテルを貼られた子であっても。慈しむ心 – それは、誰もが内に持っている宝物なのだ。
人と人を結びつけ、心を癒す都市の緑を守る – グアダルーペ・ガーデンズの試み –
ヒルトップ地区は、以前は麻薬中毒者やホームレスの人々がたむろし、通りすがりに人を撃つドライブ・バイ・シューティングなども頻発する危険な地域だったという。それが、庭ができ、「カソリック・ワーカーズ」の有志や市民が、ホームレスの人々とともにオーガニックの野菜作りを始めてから、それまでこの地域には近づかなかった人たちが訪れるようになった。CSA(Community Supported Agriculture)という日本の生協に似たシステム(自分のサポートする庭/畑の収穫物を直接買う)を始めて以来、新鮮なオーガニック野菜を買いにくるミドルクラスの人たち、庭仕事を手伝いにくるボランティアの学生たちなどの往来で、地域の雰囲気はずいぶん変わったという。
ところが2000年、タコマ市街の開発が進むにつれ、それまで空地を放任していた不在地主が、庭の一つを売ってしまう。「フラワー・ガーデン」と呼ばれていた庭は、アスファルトの駐車場になってしまった。
地域の再生に貢献してきた大切なコミュニティ・ガーデンを守ろう — 庭にかかわってきた人びとが集まり、NPO「ランド・トラスト」を立ち上げた。NPOが土地の所有者になれば、ほぼ永久的に庭を保全することができるからだ。
ところが、そうこうするうちに、またしても庭の一つが売りに出された。ぐずぐずしていたら、そこも駐車場かマンションになってしまう。だが、その土地を丸ごと買い取る資金はとても集められそうにない・・・。
そこで思いついたのが、低所得の人々のための住宅を供給するNPOとタイアップすることだった。庭の隣に低所得者用住宅を建設するかわり、庭を丸ごと保全するという計画を、そのNPOと共同で市当局に提案したのである。計画は市に承認され、庭は無事保全されることになった。
グアダルーペ・ガーデンズは、タコマ市でもっとも荒れた地域と言われたヒルトップ地区を大きく変えた。人と人が出会う場を創りだし、多くの人々の心を癒してきた。たとえば、元ホームレスだったダニー。
ダニー(41歳)は5年前、庭の片隅で寝起きしているところを、グアダルーペ・ガーデンズのスタッフに声をかけられ、庭仕事を手伝い始めた。テキサス州で生まれ育ち、農場労働者としてワシントン州に来たダニーは、アルコール依存症となり、職を維持できなくなってホームレスになったという。庭で寝起きしていた頃のダニーは一言も言葉を話さなかったので、まわりの人々は、彼は口がきけないのだと思っていたらしい。それが、野菜を育てるうちに、少しずつ話をするようになった。その日暮しだった生き方にも、庭をとおして自然のサイクルが戻り、アルコールとは手が切れた。「いまはここが自分の居場所だ」と、彼は言う。
ハイジ(46歳)も、元ホームレス。彼女は裕福な家庭に育ち、高い教育を受けていたが、麻薬中毒となり、ホームレス生活をしていたのだという。それが、サンフランシスコで受刑者や麻薬中毒者のリハビリのためのオーガニック園芸プログラムを展開していたNPOに出会い、庭の力に目覚めた(「野菜がかれらを育てた」に詳しい)。
「農薬を使わないオーガニックの野菜がすくすく育つ様子を見るのは、私自身が麻薬から解放されていくのを見るようだった」と、ハイジは言う。やがて移り住んだタコマでグアダルーペ・ガーデンズのことを知り、いまでは庭の中心メンバーとして働いている。
日本の都市部でも、緑地だった土地の所有者が死亡し、家族が相続税を払えないために、土地を物納せざるを得ないケースがあとをたたない。私の住む東京都練馬区でも、最近、人々の憩いの場だった市民農園が取り壊され、大型マンションになってしまうという残念なできごとがあったばかりだ。
都市の緑は、気づかないうちにあっという間に開発の波に飲まれ、消えてしまう。ダニーやハイジのような人々をも抱擁し、人と人を結びつける都市の緑をどうやって守っていくか。このコラムでも、できるだけさまざまな試みを取り上げていきたい。
犬が相手なら、心を開ける – 介助犬育成に取り組む少年更生施設 –
カリフォルニアには少年たちの立ち直りを助ける手がかりとして、介助犬の訓練を教えている更生施設がある。介助犬育成団体Assistance Dog Instituteと連携するシエラ・ユース・センター。窃盗や麻薬不法所持などの罪を犯した12歳から18歳までの少年少女たちが、少年刑務所での刑期を終えた後ここで共同生活し、社会復帰への準備をする。
体の不自由な人を手助けする介助犬の仕事は、落としたものを拾う、電気をつけたり消したりするなどさまざまだが、訓練する側には相当の忍耐が要る。キレやすい少年たちに、はたしてそれができるのだろうか?
驚いたことに、ふだんはすぐにカッとなる少年少女たちでも、犬が相手だと、心を通じあわせるためにいっしょうけんめい努力する。それに、あるときは誉め、あるときは無視するような一貫性のない行動を取れば、犬は何も覚えないので、自分の行動に責任を持つことも学んでいく。障害を持つ人の役に立つ仕事をすることも、大きな誇りとなるようだ。
また、家宅侵入と窃盗の罪でシエラに来たラリー(18歳)は、大の学校嫌いだったけれど、担当した犬ピアースの訓練には大変な粘り強さを発揮した。犬の障害物競争で、高い台の昇り降りができなかったピアースに付き添い、できるまで毎日励まし続けたのである。
喧嘩ばかりしていた少年たちや、一見投げやりそうな非行少女が、けんめいに自分の犬の訓練を繰り返す姿に、人と動物の絆がもたらす大きな可能性を感じる。たとえ相手がどんな人間でも、犬はそのままに受け入れて愛することができる動物。犬たちは「いまのあなたじゃ不足」とは言わない。いま目のまえにいる人間への純粋な愛しかない。そんな愛し方は、人間にはなかなかできないものだ。
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