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1992年から3年半にわたったボスニア紛争。「民族浄化」という言葉を記憶している人も多いだろう。
旧ユーゴスラビア連邦の一員だったボスニアは、ボスニアクと呼ばれるイスラム教徒の人びと(戦前・戦中はモスレム人と呼ばれていた)が44%、セルビア正教を信じるセルビア人が33%、カトリック教徒のクロアチア人が17%という人口比率で、各民族が平穏に共存していた。
ところが、旧ユーゴスラビア連邦の崩壊にともない、まず隣国のクロアチアが独立。それに続くボスニアの独立をめぐって、これら3民族のあいだで領土分割戦争が勃発した。各民族がより多くの領土を取ろうと争った結果、25万人以上が亡くなり、200万人以上が家を失って難民になったといわれる。
1995年7月には、ボスニア東部の町スレブレニツァで、ボスニアクの男性と少年約8000 人が殺されるという、ナチス以来ヨーロッパ最悪の虐殺事件が起こった。
同年11月のデイトン合意により戦争は終結したが、戦後のボスニア・ヘルツェゴビナは、一つの国境のなかに、ボスニアクとクロアチア人の連合国とセルビア人の共和国の二つの政体を抱える複雑な国家形態を取ることになった。これにより、民族間の住み分けが進み、かつてのような多民族がともに暮らすコミュニティは消滅してしまった。
このように分断されて暮らす形は、紛争への火種をくすぶらせ続けることになる。お互いの交流がない状態では、相手への恐怖や怒りが増幅するばかりで、平和共存への道はなかなか見えない。
そんな中、民族を超えた交流の場を創ることを目的に、2000年にサラエボ市内にコミュニティ・ガーデンが作られた。ガーデンの方式は、日本の市民農園のように1家族が1つの区画を与えられて野菜を育てるもの。最初は出身民族を気にしていた人びとも、畑仕事をするうちに、ごく自然に助け合い、収穫を分け合うようになっていった。6年目の今では、民族の垣根を越えて友情を育てる人びとや子どもたちも増えている。
現在、全国16か所に広がったコミュニティ・ガーデンでは、約2000人が働く。参加者のなかには、難民やスレブレニツァの虐殺の生存者など、心に傷を負った人びとが多数いるが、ガーデンは彼らの癒しの場ともなっている。
戦後10年目を迎えたボスニア。町のあちこちには、今も砲撃の跡を残す建物 が残り、人びとの心のなかにも見えない境界線が引かれている。だが、このコミュニティ・ガーデンは、大地に根ざした市民による平和構築の試みとして、再生への希望を感じさせてくれる。 |
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